生命探査、太陽系の内と外
地球外生命は存在するだろうか。存在するとしたらどのようにしてみつけることができるだろうか。ガリレオ・ガリレイによる初の望遠鏡観測から始まって、今日の探査機時代にいたるまで、太陽系の天体にはこれまで長い観測の歴史がある。しかしながら、地球外生命の証拠はまだ見いだされていない。おのずと、近年飛躍的に発見数が増している太陽系の外の惑星に生命の兆候発見の期待がかかる。
さて、太陽系の内と外とで、どちらが本当に地球外生命の確認にとって有利だろう。太陽系の外の惑星に生命を宿すものが見つかるはずとする「楽観論」(筆者もこれを推す)は、液体の水が安定して存在する環境を持つ惑星には、生命が100%に近い高い確率で出現するという仮説に基づく。実は、太陽系天体の探査は、この仮説の正しさを検証する試みと位置づけられる。その主なありかが地下に限られているとはいえ、地球を除いた太陽系の少なくとも6個の天体(火星、エウロパ、ガニメデ、カリスト、エンセラダス、タイタン)に液体の水が存在することは、さまざまな証拠からみてほぼ間違いがない。もし、これらの天体には生命がまったく存在しないならば、生命の発生には、液体の水の存在に加え、なんらかの別の条件が必要と考えられる。これは太陽系の外の惑星に生命が存在する見込みに、大きな下方修正を迫ることになる。逆に楽観論が正しければ、太陽系の内の天体にも地球外生命がみつかる可能性は極めて高いはずである。
太陽系において地球外生命を探る試みは、一見すごく進んでいるように見えるかもしれないが、実はまだスタート地点にやっと立ったばかりと見ることもできる。というのは、太陽系の天体に液体の水が現存する証拠が集まってきたのは、ハビタブルゾーンの中に軌道を持つ系外惑星の発見と同様、ごく最近のことだからだ。つまり、太陽系の内と外の生命探索は、ほぼ同じ地点まで歩みを進めた段階にあるといえる。この先、太陽系の内と外でどちらが早く地球外生命の確認にたどり着けるだろうか?
その答えを今だすことは正直難しいが、内のほうが先になるとしたら、それは継続的に探査機が送り込まれている火星か、あるいは地下の内部海から有機物を含む水蒸気プルームを放出しているエンセラダスにおいてであろう。一方、太陽系の外の惑星については、そのかすかな反射光や熱放射が生命の存在を探るための手がかりとなる。そのため、生命が存在していたとしても、大気組成や地表の反射率などを大きく変化させるレベルにまで生命圏が進化していることが、その惑星に生命の兆候を捉えるための必要条件となる。仮にはるか彼方から地球をその誕生時から45億年後の現在まで、ずっと観測をし続けたとしよう。地球の生命は遅くとも35億年前には発生していたが、それを地球外から観測して生命が存在するとはっきり言えるようになるのは、大気中に酸素が十分に蓄積した最近の数億年間に限られるかもしれない。そのような惑星を見いだすには、まず生命が存在してもおかしくない条件を備えた惑星のリストを増やす必要がある。私たちのプロジェクトの狙いのひとつはここにある。
太陽系の外の惑星に生命の兆候を見いだすことの意義は、太陽系の内におけるものと性格が異なる。太陽系において、生命が表層環境をつくりかえた天体は地球のみに限られる。したがって、表層環境をつくりかえる規模の生命圏を惑星上に出現させるまで生命が進化を遂げた、いわば第二の地球といえる天体は、太陽系の外に求めるしかない。つまり太陽系の外に生命の兆候を見いだすことは、生命圏が高度に進化することを可能にしている理由や条件を宇宙に問うということになる。これに対し、太陽系の内の地球外生命は、もし存在するならば原始的な姿を保っているとみられ、その探索は生命誕生の理由を問う意味をもつ。我々はどこからきたか、我々はなにものか、これからどこへ向かうのかという問いに答えるには、内と外の両方から迫ることが重要である。
(研究代表者 倉本圭)
※ ハビタブルゾーン
主星からある距離を離れた軌道を周回する惑星を想定したとき、その表面で生命の存在にとって重要な役割を演ずる「液体の水」が存在することができるような大気圧、温度条件を実現する惑星軌道の範囲。たとえば太陽系では、地球はハビタブルゾーンにあって液体の水が存在するが、金星はハビタブルゾーンから外れているため、水は水蒸気として存在している。